鹿児島県議会 2017-12-05 2017-12-05 平成29年第4回定例会(第3日目) 本文
当時は交通の利便性も悪く、吉野原を越える時代から日当山が近いわけでもなく、当時の日当山温泉は設備不完全で、湯つぼは元湯、現在の西郷どん湯と称する共同湯が一つで、屋根は瓦ぶきであり、四方板壁で、浴場は石畳であるが、湯つぼの底は土間のままで男女混浴、あかも随分浮いていたにもかかわらず、西郷南洲は平気で入浴されたようであります。
当時は交通の利便性も悪く、吉野原を越える時代から日当山が近いわけでもなく、当時の日当山温泉は設備不完全で、湯つぼは元湯、現在の西郷どん湯と称する共同湯が一つで、屋根は瓦ぶきであり、四方板壁で、浴場は石畳であるが、湯つぼの底は土間のままで男女混浴、あかも随分浮いていたにもかかわらず、西郷南洲は平気で入浴されたようであります。
天降川流域は、日当山温泉、妙見温泉、新川渓谷温泉郷などを有する観光地であります。河川改修以降、神話の時代からの歴史性と豊かな自然を生かしつつ、治水安全度の向上とともに、北に霧島山系、南に桜島の眺望を持つ流域住民の健康増進・憩いの場として、各種イベントの開催により、地域一帯の交流・絆の場として多くの方々に活用され続けております。
龍馬は鹿児島市から霧島市の隼人の浜ノ市に船で上陸をし、日当山温泉、塩浸温泉、霧島温泉へと、往復で二十六日間の滞在をしております。龍馬とお龍が散策したであろう新川渓谷、奥新川渓谷であります。
折橋旅館や妙見温泉、日当山温泉、鹿児島で一番歴史のある安楽温泉など、現在の湯治、これから脚光を浴びます。そして、その松田先生が「そうなるように私も努力をします」と、我がふるさとの温泉を力強く講話をいただきました。大変、意を強くいたしました。
いろいろこの間、南委員もお話をしたんですけれども、隼人の日当山温泉街が非常に寂れておりますよ。この間から話したんですけれども、本当に小さな旅館に、やはり手を当てていかなけりゃならない。テンミリオン、観光、きのうは所轄が違ったから話をしなかった、県政一般でしようと思っていたんですけれども、私はやっぱり中小企業、零細企業の育成をやっていかんと鹿児島県はだめだと思います。
ただ、ここで、先ほどいろいろと事業を説明をいただきましたが、県外あるいはいろいろな観光客がお見えになられまして、できるならば我々の地域にも、先ほど課長が説明をされました鹿児島空港、あるいは大観光地である霧島、あるいは妙見温泉、日当山温泉、あるいは隼人塚というような遺跡もいろいろと発掘をされて、新しいものが出てきたようであります。
今から百三十年前の慶応二年、旧暦の三月、西郷たちの誘いで龍馬とお龍の二人は鹿児島を訪れ、今の鹿児島市に五十七日間、そして錦江湾を船で渡り浜之市、日当山温泉、塩浸温泉、霧島温泉、高千穂登山と訪ね歩いております。ここに二十六日間滞在をして、あわせて八十三日間の薩摩の旅路であり、京都発から数えますと実に三カ月に及ぶ旅であります。
霧島、牧園、隼人町、この三町を結んでいる路線でもありますし、霧島から隼人の姫城温泉、日当山温泉、あるいはまた空港への最短道路でもあります。観光の面やら産業道路としても大きな期待が持たれておりますね。一日も早い完成を期待したいと、地元では今日まで長い間、期成同盟会までつくって頑張っているわけですね。
この道路は、国分市と空港を結ぶ最短道路であり、隼人町の誇る隼人温泉郷の姫城温泉と日当山温泉を結ぶ重要な道路の一つでもあります。昭和三十三年十一月に県道認定を受けておよそ三十二年間の歴史がこの県道にはあります。空港ができてから十七年です。
しかしながら、この路線は霧島町、牧園町、隼人町、この三町を結んで、霧島町から隼人町の姫城温泉、日当山温泉ヘ、そしてまた空港への最短道路であり、観光や産業道路としても大きな期待が持たれ、一日も早く完成をしてもらいたいと地元の要望が寄せられており、早期完成を目指して期成同盟会までできております。